次女は「かわいそうな子ども」じゃない。わたしは「不幸せな母親」でもない。
前回記事「サプライズを持った子どもが誕生すると…」~障がいのある子どもを授かると仕事はどうなる?~ の続編。今回は、「わが子の障がいを認め、共に生きていく方法」を少しずつ考えはじめられるようになるまでのエピソードを綴ります。

いざ、家の外へ

鼻に栄養チューブを入れて、胃まで直接ミルクを流し込む。
次女の「お口から全く何も飲めない」生活は変わらないものの、ルーティンで行う育児に慣れてきて、音葉の体の調子が良い日などは私の気持ちもずいぶん安定するようになった。

しかし、人の心は不思議だ。
一つ不安が消えたかと思えば「いつまでこんな生活をすれば良いのだろう・・」と新たな不安が生まれる。

母子手帳に記載されている体重や身長の増加を示す「成長曲線」。生後3カ月で首が座り、6か月頃にお座りができると書かれてある「育児書」。平均的な発達とは言えなかった次女は、3ヶ月健診も6ヶ月健診もかかりつけ医で行うことになったが、1歳半健診では体調が安定していたので、自治体の健診を受けに行ってみた。

本来であれば「歩くことができ、1日3食の食事で必要な栄養を摂れるようになり、大人の発する言葉を真似する」などができるようになる可愛いらしい時期。多くのこどもが平均的な発達を見せ、親子の笑顔があふれる健診会場だった。

「優しさ」を受け止められない

健診会場の受付の方は笑顔で対応してくださり、私もほっとした。

しかし、同じように健診に参加する周りのお母さん方は、平均的な発達状態ではない小さな次女を見て、どうやって私に話しかけたら良いのかと困っている様子だった。

身長を測るにしても、まだ立つことができない我が子の測定にはワンクッション入る。「ちょっと待ってね」と乳児用の身長計の準備がはじまり、「あ、すみません」と謝る私。そのやりとりを聞いて振り向く周りの視線が痛い。私の気持ちを察してか、同じ団地の友人が何も言わずにそばで一緒に待っていてくれた。ワンワン泣いている私の心が、彼女には丸見えだったのだろう。

 

そんな健診から半年・・・次女は2歳になっても、相変わらず口から食べることができず、歩くこともできなかった。唯一の救いは、次女の体調が良い時が増えてきたこと。そのおかげで、家の中では楽しく過ごせるようになった。

しかし、一歩家の外に出ると「受け止めきれない状況」にばかり遭遇する。たとえば、次女を連れてスーパーへ買い物に行くと、出会う人の多くが、チューブ姿の次女を見て「かわいそうに。痛いねぇ」と話しかけてくる。そして決まって私に「大変でしょう。頑張ってね」と声をかけるのだ。

気にかけてくださる方、励ましてくださる方がいるだけで感謝すべきなのかもしれない。しかし、あの頃の私は素直に「励まし」と受け取ることができなかった。「これ以上何を頑張れば良いの?!」と思いながら「はぁ、ありがとうございます」とため息のようなお礼を言う私。言葉にならない「心のもやもや」が溜まっていった。

お友だちができない

そんなある日、保健師の方に誘われて地域の子育てサークルに行ってみた。

同じように育児に奮闘するお母さんたちと話がしたい。
次女にも、お友だちをつくってあげたい。

思いが通じたのだろうか。次女の近くに、お友だちが来てくれた。
しかし、「あ~、お顔触っちゃだめよ、ごめんね、ごめんね!」とお母さんがすぐにお子さんを抱えて行ってしまった。次女の周りからどんどんお友だちが遠ざかっていく。サークル主催者の方が気にかけて話かけに来てくださるものの、私は同じ育児期の方とワイワイ話したかった。なかなか思い通りに行かない。

『この子を連れて楽しんで行ける場所なんて無いんだ…』

この日を境に、徐々に人が集まる場にも足を運ばなくなっていった。
自分の自由な時間を求めているわけじゃない。多くのお母さんたちが得ている、「子育てって色々あるよねぇ」を共有するチャンスが欲しいだけ。次女にお友だちをつくってあげたいだけ。たったそれだけのことが叶わない。

さまざまな場所で感じた「もやもやした気持ち」が、少しずつ心の中で言葉になってきた。 

本当の私はこんな人じゃないのに・・・

どこに行っても弱者のように扱われることが辛かった。

次女は「かわいそうな子ども」じゃない。
わたしは「不幸せな母親」でもない。

次女との生活は、多少不自由はある。しかし、皆と同じようにこの世に生まれ、周りの大人を一瞬にしてにっこりさせる笑顔の持ち主で、身体に起こる様々な状況を受け止める強いハートもある。そんな自慢の娘だ。わかってほしい。

 

鬱々とした気持ちを抱える中、夫が子どもたちを見ていてくれる間に美容院に行く機会があった。次女が生まれて一度も訪れることがなかったので2年ぶり。「お久しぶりですね」とあれこれ話すうちに、自然と次女の障がいの話になった。そしてここで「運命」としか考えられないようなことが起きる。

「チューブがあるからどこにも預けられないのです」と話す私に、「ここの2階で妻が託児をしています。彼女は小児科の看護師を辞めて託児所を開いたので、中村さんのお子さんもお預かりできますよ」と信じられない言葉が返ってきたのだ。

一筋の希望が見えた!

「えぇ‼」椅子から落ちそうなくらい驚いた。

電話で確認をすると「明日お試し託児をしてみませんか?」という嬉しい言葉!思わず「はい!朝10時に!」と即答した。

「やったぁ!神様ありがとう!!」帰りの車の中で何度叫んだことだろう。帰宅後、夫に話すと「良かったなぁ。そんな出会いもあるんだなぁ。明日は1人で買い物でもしておいでよ」と一緒に喜んでくれた。

翌日、緊張しながらドアベルを鳴らす。ドアが開くと「こんにちは~お待ちしていましたよ。鼻腔注入ですね、了解!安心して」とあっけないほど当たり前に抱っこしてくれた。お預かりカルテに記入し「大丈夫でしょうか…」と聞く私に「もちろん!調子が良ければ2時間とか延長も可能ですよ。連絡取り合いましょうね!」と明るいお返事。こちらも「行ってきます!」と元気良く出発するも、夢のようで、かえって落ち着かなかった。近くのお店に着いてからもソワソワ・フワフワ。一向に地に足がつかない。結局何も買わずに1時間が経過。託児所に電話をかけると「よく遊んでいますよ。絶好調です!」と安心する言葉が。引き続き保育をお願いしてスーパーへ行く。買ったものは夕飯の食材である。いつもの買いもの。でもそれは、「本当に特別な買い物」だった。

お迎えに行くと、次女は遊びに夢中になっていた。他のお子さんも一緒に遊んでいた。何度も夢見ていた「お友達と遊ぶ世界」だった。ふと、次女の顔を見るとチューブが取れにくい状態にしてある。「お母さん、チューブ抜けたら辛いよね。入れるとき嫌がるものね。だから取れにくいようにテープを貼り直しておきましたよ。これでずいぶん違うから!」「うわ・・ありがとうございます・・・」と涙が出た。

どうしてこの人はこんなに私の気持ちが分かるのだろう・・・と、不思議でならなかった。同時に、日々の子育てに希望が見え、そこから「わが子の障がいを認め、共に生きていく方法」を少しずつ考えはじめられるようになった。

前を向くまでに2年。長い長い、2年間だった。

 

~続く~

お知らせ

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過去の記事

おせっかい隊:中村 洋子(なかむら ようこ)

香蘭女子短期大学 准教授(保育学科 幼児体育)。ふくおか女性いきいき塾1期生。

大学教員職であったがハンディキャップ児を授かり退職を経験。看護生活で心身共に苦しかった頃の経験を活かし、沢山の頂いた援助を「恩送り」したいと考え、2006年《産前・産後・育児期の女性支援 すこやかライフサポーター》を設立。また、2012年には《発達障がい・多胎児・ハンディキャップのある子どもの育児を行う母親を支える プリズム 》を設立。2015年4月、12年ぶりに「常勤教員職」に復帰。現在は准教授となり、未来の保育従事者の育成に当たる。当事者の心に寄り添いながら人生の伴走をする「ママのガイドランナー」としても活動中!

◼︎すこやかライフサポーター