「サプライズを持った子どもが誕生すると…」~障がいのある子どもを授かると仕事はどうなる?〜 の続編。第3回目は、「本来の自分」を取り戻していく日々と、「仕事の世界」に戻るキッカケを掴むまでのエピソードを綴ります。

 ※第2回目はコチラ→「かわいそうな子でも、不幸な母親でもない」

よし、着付け教室に通おう!

お友達と遊ぶ世界を手に入れた次女の音葉。
2年ぶりに自由の切符を手にいれた私。

 

障がいのある我が子を受け入れてくれる託児所が見つかり、日々の子育てに希望が持てるようになった。同時に、「私も何かしてみたい」という気持ちが湧いてきた。しかし、すでに仕事を失っていた私には、特に行くところも行きたいと思う場所もない。預かってもらっている1時間で出来ること…というと、選択肢も限られた。

 

そうした中ではじめに思いついたのが、「体操教室」の開催だった。

講師登録ができる機関はないか、それともフリーの講師として少しずつ始めるか。「体育教員としてやりがいを持って働いてきた経験を生かせるかもしれない」と、夢は膨らんだ。その一方で、現実を考えると音葉の体調に気を配りながら教室を主催することは不可能だと思った。きっと何度も穴をあけることになるだろう。

 

「無理だな…」

「でも、やっぱり何かしたい!! 」

 

本来アクティブでじっとしていられない性分。このチャンスを活かしたいと思うのは当然のことだった。そうした中でふと目に留まった新聞広告。地域の文化センターで行われる「着付け教室」という文字に閃いた!

(着物の着付けの先生になって自宅に生徒さんを呼べば家で仕事ができるかも!)

母が茶道の師範で、自宅で茶道教室を開いていた様子を見ていたからか、自分にもできそうな気がしたのだ。今思えばぶっ飛んだ発想だが、その時は真剣だった。家から出られないのなら、誰かを家に呼べば良い。幸い母から譲り受けた着物も何枚か家にある。
 

本当は、「このまま運動の分野に進むと、今までの自分の生活と比較して辛くなるかも…」と予防線を張っていたのかもしれない。しかしその一方で、未知の世界に足を踏み入れるタイミングは「今しかない!」と思えたのも事実。

「よし、着付け教室に通おう!そして、着付けの先生になろう!」 

こうして私も「仕事の世界」に戻るべく、一歩を踏み出したのだった。

おせっかい魂との再会

託児所の方と相談し、毎週1時間のお稽古に通うことを決めた。

さまざまな色柄の着物を着たり、帯の結び方を学んだり。着物や着付けに関する知識がどんどん増えていく。

音葉の体調が急に悪くなり休むこともあったが、わずかな時間でも「日々の生活とは違う何か」に没頭するチャンスがあることが本当に嬉しかった。何より、他の受講者の方々と「普通の話」ができることが楽しく、自分の心を整えることに繋がっていくのが分かった。音葉の状況を先生や受講仲間に説明し、理解していただけていたことも大きかったのかもしれない。

着付けを学びはじめて数ヶ月。

当初は着物の畳み方さえ分からなかったのに、気が付けば一人でそれなりに着物が着られるようになっていた。そんなある日、新しい受講者の方が入ってきた。「数ヶ月前の自分を見ているみたい」と思いながら、つい声が出る。

「あ、こことここを合わせて畳んで…」

久しぶりに湧き出てきた"おせっかい魂"。本来の自分に再会した瞬間だった。

「先生」という仕事

「ねぇ、中村さんは何をしている人?」
私の様子を見ていた教室のアシスタントの先生が声をかけてきた。

「今は無職なんです」と答える私に、「先生とかしたことない?」と一言。

(何で分かったんですか!?)と驚きながらも、次女が生まれる前まで教員をしていたことを伝えると、「来年度、1年間だけなんだけど小学校のパソコン教室の先生になってくれないかしら?1日4時間程度の仕事よ」と、仕事を依頼されたのだ。

 

まさかの展開。
それも、あり得ない方向から来た「先生」の仕事!

 

高鳴る気持ちを抑えながら「どうして私に?」と尋ねると、「うちの新しい生徒さんに着物の畳み方を教えておられる姿が、どうも先生っぽいなぁと思って。こういう人がどうしてここにいるのかな?と不思議に思ったの」と笑いながら話してくれた。 驚くとともに興奮する自分がわかった。でも、その裏で「できるはずがない…」と思ってしまう自分もいた。音葉を毎日4時間託児に預けて働くことはハードルが高すぎるように思えたのだ。

「せっかくのお話ですが、今の私には難しいと思います」

「先生っぽいなぁ」と言われたこと、本来の自分に気がついてもらえたことが嬉しくて、それだけで満足していたのかもしれない。私はその場で仕事を辞退した。

 

その足で託児所に音葉を迎えに行き、すっかりルーティンとなった"担当の保育士の方とのおしゃべり"を楽しんだ。預けている間の音葉の様子、着付け教室での出来事…そうした中で、先生の仕事の依頼があったことを「あり得ないでしょ?」と冗談交じりに話すと、いつもとは違う真剣な表情で返された。

「どうして?お仕事したら良いのに」

夫の言うことは正しい(笑)

思わぬところで背中を押された。こうなってくると頭から消えない。

 

「どう思う?」その日の夜、ご飯も食べさせない勢いで帰宅したばかりの夫を質問攻めにした。すると、「子どものことを理由に休むことがあるだろうから、それでも働かせてもらえるのかどうかをその小学校に確認するのが一番だな」と冷静な答えが返ってきた。

 

その通りだ…!

 

すぐにお話を下さった着付けの先生に連絡をした。「よかった。前向きに検討してくださったのね。もちろんお嬢様のことも話をしてあります。状況次第だけれど、融通は利くように説明していますよ」と、心配事がその日のうちに全て解決してしまったのだ。

 あまりの展開の早さに急に不安になり、夫に「できるかなぁ」と話すと、「やるつもりで僕に聞いてきたんじゃなかったの?引き受けたいんでしょ?顔に書いてあるよ」と言われた。

 

つくづく、その通りだ…!!
私は、「先生の仕事」がしたい!!

 

夫の言うことは正しいなぁ…と妙に感心しながら、この数ヶ月間の奇跡を振り返った。障がいのある次女を預かってくださる方との出逢いを経て、そこから着付けの先生になろうとチャレンジし、出会う人々に次女の全てを伝える中で、私に仕事のチャンスをくださる方が現れた。

 

感謝しかない。

ずぶずぶとした沼の中にいるような生活は、過去のものになりつつあった。

 

~続く~

過去の記事

おせっかい隊:中村 洋子(なかむら ようこ)

香蘭女子短期大学 准教授(保育学科 幼児体育)。ふくおか女性いきいき塾1期生。

大学教員職であったがハンディキャップ児を授かり退職を経験。看護生活で心身共に苦しかった頃の経験を活かし、沢山の頂いた援助を「恩送り」したいと考え、2006年《産前・産後・育児期の女性支援 すこやかライフサポーター》を設立。また、2012年には《発達障がい・多胎児・ハンディキャップのある子どもの育児を行う母親を支える プリズム 》を設立。2015年4月、12年ぶりに「常勤教員職」に復帰。現在は准教授となり、未来の保育従事者の育成に当たる。当事者の心に寄り添いながら人生の伴走をする「ママのガイドランナー」としても活動中!

◼︎すこやかライフサポーター