「サプライズを持った子どもが誕生すると…」~障がいのある子どもを授かると仕事はどうなる?〜 の続編。第4回目は、「きょうだい児」(障がいや病気のある子の兄弟姉妹)である長女にスポットを当てて綴ります。

現在16歳の長女の天音(あまね)は私にそっくりだと最近よく言われる。
いつも自分で考え行動している姿は私のあの頃には無い姿で、我が子ながら"良く頑張るなぁ"と感心する。

両家の初孫だった彼女はどこに行っても全力で愛情を注がれる存在だった。幼い頃の写真枚数も、次女とは比べ物にならないほど多い。アトピー性皮膚炎と夜泣きには悩まされたが、天音一人の時には私も元気に毎日過ごしていた。

 

天音が2歳になる少し前…妹の音葉が誕生した。

「赤ちゃんが生まれたらママの病院にバーバと行く!」と楽しみにしていた天音。しかし、その妹は生まれた翌日から大きな病院に入院することになった。産院で妹と会うことはできなかった。そして数日後あれだけ大きなお腹だったママは、妹となる赤ちゃんとは一緒に帰って来なかった。

"何かあった"ということは感じていたのだろう。なぜなら夜泣きがひどくなっていた。20時には寝るものの、夜中から明け方まで泣いてばかり。ぎくしゃくした日々が過ぎていく。そんな中、待ちに待った妹が帰ってきた。生まれて1カ月半が経ってからのことだった。

「これなぁに?」
音葉の鼻の横についていたチューブを触ろうとしていた。

「だめっ!」
ものすごい剣幕で私に怒られた天音は固まった。敏感になっている私の対応は異常だった。

4万人に一人の確率で生まれる「カブキメークアップ症候群」という先天性遺伝子の影響を受けた障がいを持って生まれた音葉は、口内上顎が裂けていたので、おっぱいや哺乳瓶からミルクを飲むことができなかった。そのため、鼻から細い管を胃まで入れて、そこから点滴の様にミルクを流し入れる作業(鼻腔注入)を昼夜を問わず、3時間おきに行わなければならなかったのだ。

鼻腔注入でミルクを入れている間は抱っこをしていないと安定しないので、いくら天音が甘えたくても「あとでね」の繰り返し。実家で過ごした数カ月は、祖父母の手助けがあったので乗り切ることができたが、連日の夜泣き対応に両親もヘトヘト。私の体力が戻り音葉のいる生活に慣れてきた頃に自宅に帰ったとはいえ、実際に障がいのある妹と、まだ幼い長女のお世話を一人で担っていく日々は、想像以上に大変だった。

天音は、妹によって母親が占領されていることが次第にわかりはじめた。

妹の体調次第で自分の生活が振り回され、保育園の送り迎えもままならない。3人で家に居るしかなかった。そのうちに、天音のアトピーが悪化してきた。1人っ子の頃は、病院治療・温泉・食事療法と出来る限りのことをしてきたが、音葉が生まれてからというもの天音に時間と体力を十分に注げない。

「これ以上ママを困らせないでね」と3歳にも満たない子どもに言う日も少なくなかった。

誰も悪くない。それなのに、どうしてこんな風になるのだろうか。私にも、ジレンマがあった。改善の見られない生活に心と身体の疲弊が絡み合い、不機嫌な母親が続いていた。いつしか天音は、私の顔色をうかがいながら生活をするようになった。

 

そんなある日、天音が食卓に置いてある梅干しの瓶をくるくると回して遊んでいた。「危ないから止めなさい」と何度も注意したが、イヤイヤ期も重なって親の思い通りにはならなかった。瓶を回す手は止まらない。次の瞬間、ツルっと手が滑りテーブルから瓶が落ちるのが見えた。音を立てて割れた梅干しの瓶。赤い汁が、白い壁にザッと帯を描いた様に付いた。

音葉の鼻の穴に入れるチューブの入れ替え準備の最中のできごと。チューブを鼻から入れるのはとても痛く大泣きするので、バスタオルで身体をぐるぐる巻きにして、騒がないようにして無理やり入れる。虐待と思えるほどの泣き声をご近所に聞かせながらする作業は気が重く最悪の時だった。私は天音のところに行けなかった。我慢の限界だった。悪い人に絡まれたかのように「ちょっと!いい加減にしなさいよ!どういうつもり!こんなに困らせて何がおもしろいのよ!!」と、泣きじゃくる音葉を抱きながら、天音を怒鳴った。

確かにいたずらはした。しかし、こんな口調で怒鳴らなければならないようなことではなかった。天音は失敗を感じ、すでに落ち込んでいる。それでも、怒りは収まらなかった。

その時だった。天音は、消え入りそうな声で涙をこらえながらこう言った。

「おーちゃんなんていなくなればいいのに」

怒り狂っていた私でも、口の中が一気に乾くほどの恐ろしい言葉だった。

障がいのある妹の「きょうだい児」になった天音も、運命の歯車が大きく変わった1人だった。親の私だけではない。私は天音に何を求めていたのだろう。勝手に私の戦友にしていたのではないか。彼女の望むこと全てを後回しにしていただけではないか。

泣きながら寝た天音の顔を見ると涙が止まらなかった。

「ごめんね…ごめんね…」

 

近所で「中村さん大変そうよ」と言われ始めたのはこの頃だった。
泣きわめく声が毎日のように聞こえる我が家は有名だったに違いない。

しかしそれがキッカケで隣家の方が「うちには男の子だけだから女の子と一緒に買い物したいなぁ」などと、こちらが気を使わないように言って長女をあちこちに連れて行ってくれるようになった。晩ご飯もお風呂も終わらせて、お隣のお兄ちゃんのパジャマ姿で帰宅することも数えきれなかった。そんな手助けが数年間も続いた。心底助かりありがたかった。

それ以外にもご近所の方にはさまざまなサポートをいただいた。「障がい児だけが大変じゃない」と、周りの方々が天音のために、音葉のために、我が家のために動いてくださった。次女のことで心の余裕を失い、人間らしい生活を送ることが限界になって初めて「ご縁」のありがたさを知ったのである。

~続く~

過去の記事

おせっかい隊:中村 洋子(なかむら ようこ)

香蘭女子短期大学 准教授(保育学科 幼児体育)。ふくおか女性いきいき塾1期生。

大学教員職であったがハンディキャップ児を授かり退職を経験。看護生活で心身共に苦しかった頃の経験を活かし、沢山の頂いた援助を「恩送り」したいと考え、2006年《産前・産後・育児期の女性支援 すこやかライフサポーター》を設立。また、2012年には《発達障がい・多胎児・ハンディキャップのある子どもの育児を行う母親を支える プリズム 》を設立。2015年4月、12年ぶりに「常勤教員職」に復帰。現在は准教授となり、未来の保育従事者の育成に当たる。当事者の心に寄り添いながら人生の伴走をする「ママのガイドランナー」としても活動中!

◼︎子育て中のお母さんたちの相談サービス プリズム
◼︎すこやかライフサポーター