夫婦・家族としての道を選択したとき、何が見えてくるのだろう。結婚、妊娠、出産、育児。「私」だけでなく「私たち」だから描ける、「今」そして「未来」とは?

第5回目は、福岡県福岡市にお住まいの森家を取材。エネルギー関連の商社で保安担当として勤務する夫の宏太郎(こうたろう)さんと、精神保健福祉士として社会福祉法人に勤める妻の和美(かずみ)さんのお二人に、「結婚を決めた理由」、1歳になる長男の悠人(ゆうと)くんが生まれてからの「働き方と暮らし方」、「夫婦のパートナーシップ」について伺った。

一緒にいる時間が、何よりも好き

二人が出会ったのは就活支援イベントの会場。
宏太郎さんはイベントスタッフとして、和美さんは学生と話す社会人ゲストとして参加していた。

「ご飯のためだけに仕事はしちゃいかんよ!転職しても全然良いんよ!」と話す和美さんを見て、宏太郎さんは「今から就職活動をする学生にこんな話して大丈夫なのかな…」と心配していたという。

そんな二人がお互いを意識するようになったのは半年後。共通の友人を通して参加したイベントで再会し、話していて楽しいと感じられたことがきっかけに。「またご飯に行きましょう」「お誘いお待ちしています」というやりとりの10日後に宏太郎さんから誘いがあり、何度か食事デートを重ねた末、交際がスタートした。

時間さえあれば遊びに出かけたり、手紙のやり取りをしたり。当初から「一緒にいると安心する」と感じていた宏太郎さん。穏やかな時間の中で結婚を意識するようになったのは、交際から1年3ヶ月が経った頃、お互いが30歳を迎えた節目の年のことだった。

「"三十にして立つ"という言葉があるじゃないですか。それです(笑)あとは、女性は年齢を重ねるほどに結婚を気にするものなのかな…と思っていたので」と話す宏太郎さんだが、思いの根底はとてもシンプル。

「これからもずっと一緒にいたい」

そんな気持ちを大きな花束と手紙に込めて、プロポーズに踏み切った。

「年齢のことは特に気にしていなかったんですけどね(笑)でもやっぱり嬉しかったなぁ。仕事帰りのカバンの中から花束が出てきた時には本当にビックリしました。とにかく感動して…自然と涙が出たのを覚えています」

考え方がまったく違う。何を考えているのか分からないことも多い。それでも、一緒にいると世界が広がる。そんなところにも惹かれたという和美さん。

出会いから3年目となる2015年3月。
二人は大勢の友人に祝福される中で結婚式を挙げ、新たな人生の扉を開いたのだった。

寂しい。でも、嬉しい。

新婚旅行先のスペイン、思いつきで足を運んだ、大分、石川、台湾への二人旅。遊びも仕事も自由気ままに、二人きりの新婚生活を楽しんでいた宏太郎さんと和美さん。しかし、そうした時間は思っていたほど長くは続かなかった。


「これかな…?」
「本当にいるの…?」

産院のエコーで見せてもらった"点"。
和美さんのお腹に、小さな命が宿っていることが分かったのだ。

もともと親になりたいという思いで結婚したわけではなかった和美さん。当初は赤ちゃんに対する実感よりも、宏太郎さんと一緒に過ごせる時間がなくなることへの寂しさが大きかったそうだが、妊娠の経過とともに心境も変化。

妊娠記録のアプリで赤ちゃんの成長を想像したり、お腹の中の赤ちゃんに「ちっちゃい こうちゃん」と名付けて呼びかけるうちに、少しずつ、本来の前向きさを取り戻していった。

対する宏太郎さんは、結婚前から「いつか子どもがほしい」と思っていただけに、嬉しさでいっぱいに!

つわりで苦しむ和美さんに何もしてあげられないことをもどかしく思いながらも、職場の先輩パパから譲り受けた"名付け辞典"で子どもの名前をあれこれ想像するなどしながら、家族が増える未来に期待を膨らませていた。

そして、ついにその時が訪れる。

 

「え…?今、何か弾けた!?」

予定日の1ヶ月前。
深夜1時、布団に横になったと同時に破水。
宏太郎さんが東京出張で不在にしていた時のことだった。

 

36周目に差し掛かっていたこともあり、早産に対する恐怖こそなかったが、それでもやはり緊張が走った。病院、陣痛タクシー、宏太郎さん、実家の両親…。順に電話をかけていった和美さん。この時、唐津に居るはずの実家の両親が偶然にも博多に遊びに出てきていることが分かり、病院に駆けつけてくれることになったというから運が良い。宏太郎さんも、「会議なんか良いから、お前早く帰れ!」と送り出してくれた出張先の上司の英断で朝一番に帰福。

五月晴れの空が印象的だった2016年5月の末。
宏太郎さんが病院に到着したところで、長男 悠人くんが無事に誕生した。

「早く生まれたのに、よその子より大きい?」
「あれ?こうちゃんよりも、私に似てる!?」

そんな感想と共に、二人はようやく新たな家族の存在を実感。保育器に入れられた我が子を見届けながら、喜びを分かち合うことができたのだった。

言葉にならない失望感

体重は2603g。早産の割に大きく生まれた悠人くんだったが、結果的にNICU(新生児特定集中治療室)で1週間、GCU(継続保育治療室)で3日間の管理入院を行うことに。

和美さんも宏太郎さんも、面会でしか我が子に会えず、落ち着かない日々を過ごした。

「はじめの10日間は、おっぱいを搾乳して病院に届けることしかできませんでした。でもそれさえも大変だった。家のそばにあるバス停に歩くだけで一苦労。産後ってこんなに体力が無くなるんだ…と驚かされました。自分の都合で寝たり起きたりできていた分、産後すぐに24時間体制の育児がはじまる他のママよりもラクだったはずなんですけどね」

"産後ボロボロになる"という所以を噛み締めながら、気力を振り絞って病院に通い続けた和美さん。
悠人くんを連れ帰ってからの生活にも、不安がないわけではなかった。

実際に自宅での育児がスタートしてからというもの、和美さんは慢性的な睡眠不足状態に。

「産後ドゥーラ」(産後の母親に寄り添い、家事や育児をサポートする民間サービス)を活用し、心身穏やかに過ごせる日もあったが、それ以外は基本的に赤ちゃんと二人きりで過ごす生活。3時間置きに授乳とオムツ替えを行い、泣く度に抱っこであやして寝かしつける。隙間を縫って、部屋の片付けやお風呂掃除、洗濯、買い物、夕飯準備を進めるが、どれもままならない。


「泣き声がマンション中に響いているような気がする」

 

擦り切れそうな精神状況の中、多少泣いても大丈夫…!と自分に言い聞かせ、あやすのを中断したこともあった。しかし、そんな時に限って「何もせずに泣かせているのは虐待と同じじゃないの?ゆうくん、大丈夫かなぁ」という宏太郎さんからの一言。

何をしても泣き止まず、寝付かない悠人くんを心配する気持ちは分かる。でも、付き切りでそのお世話に当たっている私のことは心配じゃないの?共感や労わりが感じられない中、いつしか和美さんは、我が子を可愛いと思う心のゆとりも、宏太郎さんへの信頼も失っていった。

そんな和美さんの状況に気がつくことなく、自分なりのペースで夜泣き対応や土日の食事の準備に関わっていた宏太郎さん。

育児や家事を全く行わないわけではなかったが、和美さんにしてみればどれも不十分。普段から帰りが遅く、仕事の付き合いで飲んで帰ってくることも多いなど、産後の妻を失望させるには十分な条件が揃っていた。

「少なくとも8時には帰ってきて助けてほしい。そう、思っていました。でもそのひと言を発するのが苦痛でたまらなかった。辛いということを、伝える気力もなかったんです。体力的にも精神的にも、限界でした」と和美さん。

決定的だったのは、連日の悠人くんの夜泣きで睡眠不足状態が続く中、宏太郎さんが飲み会で0時過ぎに帰ってきた日のことだろう。

「9時には帰るって言っていたよね。そもそも、こんな状態の妻と子どもが家で待っているのに、自分だけ…?」今までに感じたことのない、猛烈な怒りが湧いてきた。しかし、何も言葉が出てこない。酔い疲れてソファに腰掛ける宏太郎さんに背を向け、ボロボロと涙を流しながら、和美さんは一人黙って家を出た。

「1日中泣き喚く子どものお世話を体験してみれば良い。明日の朝、仕事に出かけられずに困っても、構うものか」そんな思いが体中に広がっていく。しかし疲れ果てた体には、怒りを持続するほどの余力も残っていなかった。

結局どこにも行くことができずに、夜道を散歩し続けた和美さん。
ふらりと立ち寄ったスーパーで買って帰ったサランラップが、無念さを物語っていた。

リカバリーなるか!?はじまった、夫の挑戦

「さすがにヤバイと思いました。泣いて出て行った時には焦りましたし…。言うのもきついという状況で言わせてしまっていたことも、申し訳なかったですね」と反省モードの宏太郎さん。

その横で「少しは察してほしいと、思っていたところがあるから…。私も、自分の気持を伝えずに不満を溜めていくのは良くなかったなぁと思いました」と和美さん。

夫婦二人だけで解決しようとせず、上手に人の手を借りようと思ったのがちょうどこの頃。

二人はLogisaが提供する夫婦会議プログラム「両親学級 世帯経営セミナー」に参加を決め、用意されたシートに不安や不満を書き込んだり、現状や理想を話し合ったりする中で、久しぶりに一緒に考える時間を共有。

2時間程度のわずかな時間ではあったが、お互いの気持を確かめ合いながら、産後の働き方や暮らし方を見つめ直していった。

「当時は"言葉になっていないことは大切ではない""何も言わない=大丈夫"と考えている節がありました。でも、率先して妻の気持ちを聞き出すことって本当に大切なんだなと、今は感じています」

うまく言葉にできなかったお互いの思いや価値観が通じ合うようになる中、宏太郎さんは「仕事のやり方を変えていこう」と決意。

職場に迷惑がかからないか気がかりではあったが、泊まりがけの出張を無くしたり、飲み会を断ったり、夜型から朝型の生活スタイルに調整していくなど、以前よりも意識的に働き方を工夫するようになっていった。

そんな宏太郎さんにとって最大の挑戦が「育休取得」だろう。

 「育休、いつ頃どのくらい取るの?今まさに大変な状況なんだけど…と尋ねました。そこでこうちゃんに『3日くらい?』と言われたんです。話が違う!と思いました」と和美さん。 

出産前には「2週間くらいは取れたら良いよね」と話し合っていた二人。しかし仕事の忙しさから、宏太郎さんは職場で育休の話を進めることができていなかったのだ。

うっかり発言でまたも和美さんを落胆させてしまった宏太郎さん。
慌てて職場に掛け合うものの、やり取りは難航。

 「前例が無い…と会社には言われました。三つ子とかなら分かるけど、とも。エーッ!?と思いましたよ。やはり育休は権利ですから…」

家族のためにも自分のためにも、簡単に諦められなかった宏太郎さん。ごねても仕方がないと、別な方法を検討。上司からも「"夏休み休暇"と"有給"を組み合わせたらどうだ」という話が出る中で、なんとか2週間の休みを取得したのだった。


そうしてはじまった産後3ヶ月目からの宏太郎さんの"プチ育休"生活。
宏太郎さんは、初日から予想以上の事態に愕然とした。

ずっと目を離せず、付き切りの状態。泣き続ける我が子に何かしてあげたいとあらゆる方法を試してみるが、うまく寝付いてくれない。食事も睡眠も十分に取れない中で行う家事負担の凄まじいこと…。

育児や家事の実態を体感する中で、ようやく大変さを理解した宏太郎さん。和美さんもそうした様子を感じ取り、少しずつ穏やかさを取り戻していった。

孤独な自立心

しかし、わずか2週間で和美さんの宏太郎さんへの信頼が完全に回復することはなかった。

休んでいた間の遅れを取り戻そうという気持ちもあったのだろう。和美さんの精神状況が安定したように見えた宏太郎さんは、プチ育休生活が終わると共に、働き方を以前のペースに戻してしまったのだ。

そうした中で風邪をこじらせてしまった和美さん。一人で悠人くんのお世話ができない状況の中、宏太郎さんを頼ることもできず、唐津の実家でお世話になることに。少しは体を休められると期待したが、両親の都合もあって体調が回復しない内に帰宅することになった。

家を明けていたのは3日間ほどだろうか。

…玄関を開けて目に入ってきたのは、散らかった部屋の中で寝ている宏太郎さんの姿。飲み会の帰りだったのか、なんとなくお酒臭い。家を空けていた日数分だけ、洗濯物や食器が積み重なっている。

「裏切り者!…って思いました。やっぱりこの人は何も分かっていない。悠人くんのお世話もままならない私が、夫の散らかした部屋を片付けられるはずもないのに。本当に信じられない光景だった!」と和美さん。

一人家を飛び出し夜道を彷徨い続けたあの日のことが蘇る中、和美さんは「自分と子どもを守れるのは、自分しかいない」と思うように。そこから仕事復帰までの約半年間、ルンバや食洗機、乾燥機付きの洗濯機を買い揃えながら、家事にまつわるオペレーションを一つひとつ見直していった。

そうして悠人くんが1歳になる頃には無事に保育園通いもスタート。和美さんも仕事復帰を果たす中、毎日のお風呂掃除は宏太郎さんが、食事の準備は和美さんが担うようになるなど、生活リズムも安定するようになった。

「今、子育てはそんなに大変じゃないんです。周囲に助けてくれる人もいますから。でもこれ以上、夫の会社のために私や悠人まで犠牲になるつもりはありません。私は今の生活を大切にしたいし、こうちゃんの仕事や会社の事情に臨機応変に対応するクッションじゃないから」

そう語る和美さんの横顔に、宏太郎さんは何を思っただろう。

これからも、一緒にいたいから

お世辞にも順調とは言い難い森家の産後1年間。

最近では玄関にホワイトボードを設置してお互いに伝言を書きあったり、土日に一緒に台所に立って料理をしたりと、意識的にコミュニケーションを増やす努力を重ねているそうだが、そもそも二人はどんな夫婦で在りたいと思っているのか。

取材の終わりに、尋ねてみた。

「理想の夫婦像…"ない"ですね。未だにこうちゃんのことを"彼氏"という感覚で捉えているし。恋人関係でいたいという思いが強いのかもしれません」

愛情たっぷりに見守ってくれた両親への感謝は尽きないが、"男は仕事、女は家庭"という家庭内の価値観には違和感があった和美さん。夫婦や父母という関係に落ち着くことで役割が分断されてしまうくらいなら、恋人関係でいたいと考えるようになった経緯を話してくれた。

 

「えーっ!?そうなの!?」と宏太郎さんは初耳の様子。

転勤や単身赴任を繰り返すサラリーマンの父と専業主婦の母の元、2人の妹の兄として育ってきた宏太郎さん。両親が一緒に過ごす姿を目にすることは少なく、家族一人ひとりが考えていることも良くわからないと感じていた中、「和美さんとは気持ちで繋がっている夫婦・家族でいたい」と、明確な理想を持っていたのだ。

 

そんな宏太郎さんの想いを静かに聞いていた和美さん。

しばらく考えた末に「あえて言うなら、母、妻という属性ではなく、一人の人間として分かり合えている二人でいたいかな。見ての通り、うちはまだベストバランスには至っていないけど…お互いの状態を気遣えるようになった時、私も"夫婦"になれる気がする」と付け足した。

「まだ夫婦じゃなかったのか〜」と肩を落とす宏太郎さんだが、その様子を見つめる和美さんの眼差しはどこか温かい。

 

「正直、"一番大変な時に助けてくれなかった"という感情だけは、ずっと拭えずにいます。でも、これからも一緒にいたい。ここから先は、夫婦としてのパートナーシップがないと乗り越えられない場面もあるんでしょうね」と和美さん。

 

悠人くんの父・母として過ごす時間は大切。
でも、二人で一緒に過ごす時間にこれからも幸せを見出していけるように。

お互いの両親とは異なる「自分たちなりの関係」を、これから宏太郎さんと和美さんは一緒に創り上げていく。森家の挑戦は、はじまったばかりだ。

おまけ

取材から3ヶ月。二人の心境に変化があったということで、再び森家を訪ねました。

「疲れてそうだな、大変そうだな、って。和美のことはもちろん、家のことにも以前より意識を働かせていけるようになったと思うんです」と話すのは夫の宏太郎さん。

あれから世帯経営ノートにも取り組んだらしく、将来のことやお互いの仕事のことなど、現実的な話し合いも進めていきたいと思うようになったそう。

その横で「今思えばあの取材自体が夫婦会議でした。こうちゃん、ようやくこのままじゃヤバい!って気がついてくれたみたいで。"夫婦関係の治療"にもなった気がしています(笑)」と妻の和美さん。

宏太郎さんが、18時に一旦帰宅して夕飯を皆で囲んだ後に再び職場に戻っていったこと。「今日は1日どうだった?」と自分や悠人くんを気にかけてくれるようになったこと。仕事の半休や土曜保育を活用して、子連れでは行き難いお寿司やフレンチのお店でのランチを久しぶりに二人で楽しんだこと。

「仕事で忙しくても、家族の時間や二人きりで過ごす時間を大切に思って工夫してくれるようになった」と、取材後の変化を一つひとつ嬉しそうに話してくれました。

 

対話も活発になり、仲良し度もUPした二人。

「もう"彼氏"じゃないかな。発展途上」と和美さん。
「"夫婦"になれそうですかね?」と宏太郎さん。

その真ん中で、満面の笑顔を見せてくれた悠人くん。

お父さんとお母さんが仲良しだと、嬉しいねぇ!
これからも笑顔のご夫婦・ご家族でいられますように。末永く幸せであることを願っています!